《歴史・文化》哀愁と楽しさのあいだ〜ユダヤ音楽の世界〜


さあ歌おう、みんなで短い歌を

短い曲、韻踏んでて楽しいやつ

母ちゃん、カーシャと団子のラーメン作る

プーリーム祭りに出る、遊ぶのはドライデル

チリビン、チリボン、チリビンボンボンボンボンバボン

チリビン、チリボン、チリビンボンボンバボン

チリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビリビンボボン

チリビリビリビリビリビリボン、チリビンボンボンボボン!

ブログ「Perry.J.Greenbaum」の2011年4月11日の記事掲載の英語訳をKEBABができるだけ韻を踏むように和訳) 

 バグではない。「Chiribim Chiribom(チリビム、チリボム)」という歌のさびの部分である。今回のテーマは「びりびり」というわけで、この歌を冒頭にもってきてみた。

 英訳をたよりに日本語訳にしてみたが、正直意味がわからない。カーシャやら団子(原語では「クネードゥル」)、プーリーム祭り、ドライデル、なんて普段の生活ではまず聞かないだろう。こういうわけのわからない単語が頻出する歌、皆さんは他に聞いたことがないだろうか? 例えば……

 

ある晴れた昼下がり 市場へ向かう道

荷馬車がゴトゴト 子牛を乗せてゆく

かわいい子牛 売られてゆくよ

悲しそうなひとみで 見ているよ

ドナドナドーナドーナ 子牛を乗せて

ドナドナドーナドーナ 荷馬車が揺れる

(ウェブサイト「ドナドナの歌詞について」より 訳詞:安井かずみ)

さばくの真ん中 ふしぎなはなし

みんなが集まる いのちのみずだ

マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン

マイム マイム マイム マイム マイム ベッサッソン

「志村建世のブログ」「マイムマイム」の歌詞ふたたび、より 訳詞:志村建世)

 

(下の曲は、フォークダンスでおなじみのマイムマイム。最初のバージョンが一般的なやつで、次のやつが1985年にポップな歌詞が新たにつけられたバージョン。テレビ朝日のクイズ番組「あっぱれ外人 DONぴしゃり‼︎」、子供番組「パックンたまご」で流されたらしい)

 

  ご存知の方もいるかもしれないが、これらの曲には共通点がある。それは、この歌がとある一つ(?)の文化の下に生まれているということだ。その文化というのは、ユダヤ文化である。

 

(下はそれぞれの原曲バージョン。ドナドナはイディッシュ語(後述)、マイムマイムはヘブライ語。最後の動画はダンス付きのマイムマイム)

 紀元135年はユダヤ人にとって重大な年だった。

 今から三千年ほど前に栄えたユダヤ人の国家イスラエル統一王国は三代にして南北に分裂し、それから二百年後に北部が、四百年後に南部が滅亡した。その後は今のイランにあたるペルシア帝国、アレクサンドロス大王のマケドニア王国、大王の家臣が建てたセレウコス朝ペルシア、それからローマ帝国の支配の下、自治を行ってきたユダヤ人たちだったが、度重なるローマ帝国への反乱により、ローマ帝国の堪忍袋の緒もついにきれたのである。紀元135年、ローマ皇帝ハドリアヌス(『テルマエロマエ』の皇帝)はイェルサレムを陥落させると、ユダヤ人たちのイスラエル地方からの「出禁」を宣言した。いわゆる「ディアスポラ」である。

 かくして紀元135年、ユダヤ人は国を失ってしまったわけだ。もとからユダヤ人は交易活動に従事したりする人が多かったので、帝都ローマや経済の中心であったエジプトのアレクサンドリアなどには数多くのユダヤ人がいたが、この年以降は、より多くのユダヤ人がより広い地域に離散して行った。

 ローマ帝国が衰退し、キリスト教の力が強まってゆくと、新約聖書で「悪役」として描かれがちなユダヤ人は迫害の対象となっていった。土地をもつことは禁止され、都市で金貸しや商人、あるいは職人や芸人をやるほかない。それで成功するものも出てくるが、あまり歓迎はされない。ペストや災害があるたびに「元凶」扱いされ、略奪や殺戮の対象とされた。そして十世紀頃になると多くのキリスト教国はユダヤ人の「追放」を宣言した。イスラーム政権の下、平和に暮らしていたスペインのユダヤ人たちも、1492年のレコンキスタ(キリスト教勢力によるイスラーム政権打倒)により、居場所を失った。ドイツなどではユダヤ人たちは一五世紀頃、「ゲットー」と呼ばれる衛生状態の悪い「隔離地区」に推し込められた(チャップリンの映画『独裁者』に登場する)。ロシアでもポグロムという虐殺がしばしば起こった。

 そんな彼らは迫害のない土地を求めて各地を移動した。迫害のない土地というのは、ユダヤ人を同じ神を信仰する仲間として認めるイスラームの国か、寛容なキリスト教国(そういう国は後進国であり、寛容な理由は、ユダヤ人が有能な職人であり、商人であったため、人材を確保したい、との思いがあったらしい)である。それが、南ではオスマン帝国であり、北ではオランダとポーランド王国(その後、国王を選挙で選ぶポーランド・リトアニア共和国となる)だった。ユダヤ人たちの多くはトルコ方面とポーランド方面にくらすようになる。トルコや中東方面に暮らすユダヤ人を「セファラディーム」、ポーランド方面に暮らすユダヤ人を「アシュケナージーム」と呼んだ。特にポーランドでは事実上自治が認められ、ユダヤ議会の他、「シュテイトゥル」というユダヤ人の自給自足の自治町もあったという。だが、時代が下ると、ポーランドはロシア、プロイセン(現ドイツ)、オーストリアの三カ国によって解体・分割され、オスマン帝国も衰退することになる。

 一方でその時代になると、英国や革命により人権を重要視するようになったフランス、そしてアメリカ合衆国がユダヤ人の移住を認めるようになっていた。そちらやあるいはロシアの支配の及んでいなかったルーマニアなどへの移住や、アメリカでの成功を求める人たちもいた。だが、東欧に残るユダヤ人ももちろんいた。ロシアで迫害を受けたユダヤ人たちは、レーニンらの革命運動に参加し、ソ連を打ち立てる上で重要な役割を果たしたという。またポーランドやオーストリアなどのユダヤ人の中には、「シオニズム」といって、かつてイスラエル統一王国があった土地、「約束の地」へと帰還しようという動きをするものもいた。第一次世界大戦中、英国はこれを認めたが、戦争終結後は手のひらを返すように撤回してしまった。

 だが、東欧に残ったユダヤ人には過酷な運命がさらに待ち受けていた。まず、ソ連は宗教を認めなかった。無神論者のユダヤ人は迫害されなかったが、宗教者は危険視され、多くはアメリカへとわたった。また、スターリンが政権につくと、徐々にのけ者扱いされるようになる(「ユダヤ人自治州ビロビジャン」と称した場所がシベリアの奥地に作られるが、そこは開拓に不向きな土地だったため、多くの人々が逃亡した)。そして一番の衝撃がドイツに現れたナチス政権である。ユダヤ人の多かったポーランドやオーストリアを支配するようになったナチスドイツは、彼らを強制収容所へと送り込み、「絶滅」させようとした。ここまでの迫害は前代未聞だった。経緯はともかく、この迫害により、多くのユダヤ人がアメリカへと流れ込んだ。アルベルト・アインシュタインはその一人である。第二次世界大戦はナチスドイツの敗北という形で終結したが、絶滅の危険にひんしていたユダヤ人たちは我慢の限界が来ていた。かくしてユダヤ人たちは大挙して海を渡り、「約束の地」を占領した。1949年の「イスラエル国」建国である……。

 

(下の動画は、イスラエル国の国歌で、シオニズムのテーマ曲「希望(ハティクヴァー)」。演歌調である。次の曲は「彼は平和の造り主(オーセーシャローム)」でイスラエル建国60周年を祝って英国の団体が制作した。歌詞は聖書から取られており、別のメロディのものが一般に知られる。子供たちの合唱のシーンがあるが、教育熱心なで知られるユダヤ人は音楽も子供に歌い継いでいるようだ。ミッション系の学校で賛美歌を歌うように、ユダヤ人の学校でもそういうものがあるようで、ユダヤ音楽を検索しているとよく出てくる)

 ところで、大阪人の友人が次のように言っていた。東京にいると不思議と標準語でしゃべってしまう、と。そして大阪に帰ると、大阪弁のイントネーションが少しおかしくなっていて、怒られるらしい。怒ることはない。あたりまえだ。別の土地で暮らしていると、しゃべり方とか、服装とか、徐々に同化してゆくのが自然なのだ。

 離散したユダヤ人はどうだったのか、というと、ある程度まで同化を拒んだことが有名である。迫害の理由はそこにもあったのだろう。豚肉は食べず、戒律を守り、教育は自分たち流に行い、不思議な祭り(毎週土曜の「安息日(シャバット)」や「光の祭り(ハヌカ)」、「過越祭(ペサハ)」そして「チリビム、チリボム」に出てきた「プーリーム祭り」など)をかたくなに行って、会話の中には耳慣れない「マザルトーヴ(おめでとう)」とか「ハシャマイム(天)」とか「レハイム(乾杯)」とか単語を挟んでくる。現地の言葉をしゃべっているように見えて、文字はヘブライ文字という独特の文字をかたくなに使う。「ノリの悪い」連中に見えたのかもしれない。しかし一方で、そうした独自なユダヤ文化を、独特な形で他の文化と混ぜ合わせながら適応して行ったという事実もある。

 

 例えば食べ物なんかがそうだ。一番有名であろう東欧ユダヤ文化由来の食べ物は「ベーグル」である。ユダヤとの関わりを知らぬ人もいるだろう。1687年(と特定されているのには驚いた)、オーストリアのカフェ店主がポーランド王のピクニック用に作ったのがはじめらしい。それがユダヤ人の間で好まれるようになり、アメリカに亡命した人々がそれをはやらせたらしい。そんな風に、ユダヤの食文化と言うと、各地の食べ物をそのまま使っていたりすることが多い。「チリビム、チリボム」に出てくる「カーシャ」は東欧のそば粉料理、「クネードゥル(団子)」はドイツ南部の料理でジャガイモでできたもちもちの団子だ。ところでわたしは先日ユダヤ料理の屋台で昼飯を食ったのだが、そこの名物料理は「ファラフェル・シュニッツェル」だった。ファラフェルは中東の豆団子で、シュニッツェルはドイツ南部・オーストリアのカツレツだから、中東のユダヤ人「セファラディーム」の料理と東欧のユダヤ人「アシュケナージーム」の融合料理ということになるわけである。離散していた両者がこのような形で一つになるとは、なんとなく涙ぐましいものがあった。

 

 他にあげるなら、言語がある。「ユダヤ語」あるいは「ユダヤ諸語」というのだが、離散した土地の言葉のユダヤバージョンだ。スペイン語にはラディーノ語というユダヤ諸語がある。最も一般的なのは、中欧や東欧やロシアで使用されていた「イディッシュ語」だ。これは軸の部分に古いドイツ語があり(当時はドイツ語がその一体では最も文化的な言葉だったから、といわれる)、単語はユダヤ人の言葉ヘブライ語やスラヴ系の言葉、特にポーランド語からの借用語が多い。響きは圧倒的にドイツ語に近く、巻き舌やのどひこをならす音はオランダ語にも通じるものがある。

 

 そして、音楽だ。

 音楽は音楽を作った人、歌い手の空気を伝えてくれる。それは文化の空気でもあり、ユダヤ音楽を聴けば、ユダヤ文化の食うに触れることができるだろう。

 ユダヤの音楽で有名なものには、大まかに二種類ある。一つはクレッツマー音楽、といって東欧のユダヤ人が歌いつないできた歌だ。冒頭で触れたものでは「チリビム、チリボム」や「ドナドナ」がそうである。もう一つはイスラエル建国にあたって入植したユダヤ人が開拓する最中や結婚式などに歌った歌だ(結婚式で歌われることは本当に多いらしく、日本で言えば「Butterfly」みたいなものか)。「マイムマイム」はそちらである。この二つの違いは、目に見えるのは言語だ。前者は基本イディッシュ語だが、後者はヘブライ語だ。ヘブライ語はユダヤ人離散の中で廃れてしまった言語だったが、シオニズム運動の高まりの中で、エリエゼル・ベン・イェフダーという学者によって再びよみがえったという奇跡の歴史を持つ。

 

(イスラエル民謡メドレーを中心に紹介しよう。最初のものはださい画質と音質が笑いを誘うが、どれも有名な歌だ。「喜べ!喜べ!(ハヴァ・ナギラ)」と「あなた方に平和を(ヘヴェヌ・シャローム・アレイヘム)」はイスラエル民謡のスタンダードだ。二番目の歌はロシアの番組のイスラエル民謡メドレー(歌い方とか、いろいろとロシア感がハンパない)。順番は、まず先ほど別のメロディで紹介した「彼は平和の造り主(オーセーシャローム)」、次はユダヤ人の結婚式の定番ソング「おめでとう!(シムン・トーヴ!マザル・トーヴ!)」、そして「信じる。(アニー・マアミン)」、途中でなぜかパルプフィクションの歌が入り(?)、その後が「あなた方に平和を(ヘヴェヌ・シャローム・アレイヘム)」である。こうやってみるとわかるように、ユダヤ人の中心価値観には「平和(シャローム)」あるようで、実は挨拶も「シャローム!」という。イスラーム文化圏もおなじである。どうも現実はうまくゆかない)

 

 もう一つの違いがあるとするならば、クレッツマーはよりノスタルジックで物悲しさがある(「ドナドナ」なんて物悲しさの塊のようなものだろう)一方、イスラエル民謡は未来の希望に満ちあふれているという点がある(開拓と結婚の歌だから当たり前である)。だが両方とも、独特の寂しさと、独特の楽しさと、独特の深みがある。人々によって長い間歌いつながれてきただけあって、コンサートホールよりは路上の方が似合うような軽妙さがある一方で、歌詞はなんとなく深みがあったりもする。例えば、わたしのお気に入りのクレッツマーである「トゥンバラライカ(バラライカを弾こう)」は歌詞を調べるとまるで禅問答のような歌である。

 

家より高いものは何? 

鼠より速いものは何だろう? 

井戸よりも深いものは何? 

苦いものは何だ? ものすごくものすごく苦いものは

トゥンバラ トゥンバラ トゥンバラライカ

トゥンバラ トゥンバラ トゥンバララ

バラライカを弾けば、トゥンバラライカ、

僕らはハッピーさ

煙突は家より高い

猫は鼠より速い

トーラー(律法)は井戸よりも深い

死は苦い、ものすごくものすごく苦い

英語版ウィキベディア「Tumbalalaika掲載の英訳をKEBABが和訳)

 

 

 歌詞はまるで禅問答だが楽しげで、どこか寂しげな旋律は心をとらえるものがある。ユダヤ人たちの守ってきた文化、というものがここにしみ出してきているのかもしれない。

 

 深みだけではない。ユダヤの音楽は聴いているだけで楽しい面もある。テンポのよさ、そしてサビのキャッチーさで、さびだけならばすぐに覚えてしまう(特に何度もくり返す部分が多いような気がする)。かつて学校教育で用いられたのも頷ける。

 今度はイスラエル民謡の中から一曲紹介しよう。「来年(バシャナーハバアー)」という歌である。この歌は実は、日本語版もあって、かつて七十年代日本でもヒットした「ナオミの夢(アニー・ホーレム・ナオミ)」という歌を歌ったヘドヴァとダヴィデというデュオグループが歌っている。開拓ソングだけあって、希望に満ちあふれている感じがよい。

 

バシャナーハバアー(来年)

僕らはベランダに座って 渡り鳥の数を数えてる

子供たちは休みに入って 庭で鬼ごっこをして遊んでる

きっと君はわかる、君はわかるんだ

来年(バシャナーハバアー)は どんなにいいものになるのか

www.hebrewsongs.com/?song=bashanahabaaに掲載の英訳をKEBABがまたまた和訳)

 

(最初の動画はわたしの一番のお気に入り。二番目はBoys Town Jerusalemという少年ユニットの元気一杯のバージョン。それから三番目が、歌詞がただの遠距離恋愛に改変されてしまったヘドヴァとダヴィデの日本語バージョン)

 

 ユダヤ音楽、特にクレッツマーの独特のノスタルジックな雰囲気は人々に心を引きつけ、他の音楽に影響を与えることもある。特にジャズだ。アンドリューシスターズという戦中戦後に活躍した三人組「アイドルユニット」が歌って一躍有名になって今やスタンダードナンバーとなっている「素敵なあなた(Bei mir bistu sheyn、もしくはBei mir bist du schön)」は、イディッシュ語の歌に由来している。この歌は物悲しさは旋律にとどめるのみで、歌詞は恋の歌だが、なかなかいい歌である。思わず口ずさみたくなる。ちなみに作曲は「ドナドナ」のショロム・セクンダである。同一人物の曲とは思えない。

 

バイ・ミール・ビストゥ・シェイン ねえ伝えたいの

バイ・ミール・ビストゥ・シェイン あなたは最高なの

バイ・ミール・ビストゥ・シェイン もう一度伝えるね

あなたが世界一素敵ってこと

ほら「ベーラ、ベーラ」とか「ゼア・ヴンダバー」とか

手助け程度よ あなたの魅力伝えるための

伝えようとしてる バイ・ミール・ビストゥ・シェイン

だからキスして、わかるって言ってよ

metrolyricsに掲載されている英語バージョンをKEBABが和訳)

 

(下の動画まずアンドリュー・シスターズの歌う英語版。次は「チリビム、チリボム」や「トゥンバラライカ」の動画も貼付けたバリーシスターズが歌うイディッシュ語版。そして最後に八代亜紀の日本語版)

 

 これは英語バージョン(歌詞も実はユダヤ人が付けた)の訳だから、イディッシュの雰囲気は伝わらない。だがメロディの単調でありつつも盛り上がりをみせる感じは確実にクレッツマーの香りを漂わせている。この歌はスタンダードとしてエラ・フィッツジェラルドやジュディー・ガーランド(「オズの魔法使い」のドロシーの人)、ツァラー・レアンダー、など多くのアーティストによって歌われ、ベニー・グッドマンやグレン・ミラー、ジャンゴ・ラインハルトなど編曲の数も絶えない。日本人では桃井かおりや八代亜紀までもが歌っている。

 その背景には、ジャズのはやった1920~30年代に先駆けて、アメリカではユダヤ人による演劇が上演されていたということがある。ユダヤ人たちは芸人として、イディッシュ語の舞台をやっていた。そんな彼らは後に映画業界を作って行った。その影響もあり、イディッシュ文化はアメリカではポップなカルチャーだったに違いない。

 

 手を叩いて踊りたくなるように軽妙で、それでいてどこか深みがある。哀愁漂うメロディでありながら、楽しげでもある。コンサートホールよりもストリートの似合う親近感もある。そしてキャッチーなさびはすぐに口ずさめるようにできている。そんなユダヤ音楽、クレッツマー。ぜひ、聞いてみて、ユダヤ人に思いをはせてみて欲しい。

 

(記事:KEBAB

 

《参考》

クレッツマーは多くの人が歌っているが、「バリーシスターズ(Barry Sisters: Сёстры Берри)」は今回紹介した歌のほとんどすべてを歌っている。二人組で、声は少しキャンディーズに似ている。「恋のバカンス」のイディッシュ版など歌って欲しかった。あとはYaakov Shapiroの歌もなかなかいい。

イスラエル民謡なら、本当にたくさんのアーティストが歌っている。Gad Elbazの「喜べ!喜べ!(ハヴァ・ナギラ)」は現代風にアレンジされていてスタイリッシュだ。AdamaのHora Connexionという歌はメドレー形式でヘブライ語の歌がまとまっていてかっこいい。これらは最後に載せた。

スタイリッシュなユダヤ音楽を聴きたいなら、「Klezmer Band」なんて検索すると、ストリートでトランペットやヴァイオリンやクラリネットを使って奏でるかっこいいユダヤ音楽が聴ける。

「黄金のイェルサレム」や「ねえママ、わたし恋してるの」、「ベルツ、わが町ベルツ」、「わたしのユダヤのママ」、「村は何処だ?」、「人生に乾杯!(レハイム!)」(イディッシュ文化の大家ショレム・アレイヘム原作のミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のナンバー)などなど紹介できなかった歌もあるが、ぜひ聴いてみて欲しい。

 

なお、今回参考にした書籍は……

『事典 世界の言葉 141』(大修館書店)のイディッシュ語のページ

谷内意咲『今日から読めるヘブライ語』(ミルトス)

玉村豊男『パンとワインとおしゃべりと』(中公文庫)のベーグルのエッセイ

小川英雄『古代オリエントの歴史』(慶応義塾大学出版会)

イェジ・ルコフスキ&フベルト・ザヴァツキ『ポーランドの歴史(ケンブリッジ版世界各国史)』河野肇訳(創土社)

『新詳世界史図説』(浜島書店)

田中克彦『ことばと国家』(岩波新書)イディッシュ語の章

ヤアコヴ=カッツ&ツヴィ=バハラハ『イスラエル1:その人々の歴史(全訳 世界の歴史教科書シリーズ)』池田裕&辻田真理子訳(帝国書院)

チャールズ・スズラックマン『ユダヤ教(FOR BEGINNERS)』中道久純訳(現代書館)

もう一つ、アメリカの映画産業発展の土台にイディッシュ劇ブームがあったと書いてある(おそらく)新書があったはずなのだが、タイトルを忘れてしまった。

 

参考にしたサイトは……

「ヘブライの館2」(inri.client.jp)の「東欧ユダヤ人のルーツ」というページ

その他、前述の歌詞掲載サイトたちとWikipediaページ。

 

(それでは最後に現代的な四曲紹介。まずはGad Elbazの「喜べ!喜べ!(ハヴァ・ナギラ)」。次はシオニズムのテーマ曲「希望(ハティクヴァー)」のフランス語ラップLimixバージョン。それからイスラエルの番組で演奏されたらしいイディッシュ音楽(クレッツマー)のメドレー(こちらは子供たちのコピーバージョンもある。かわいいのでぜひ見て欲しい)、そして最後にAdamaのイスラエル民謡メドレー、Hora Connexion(ホーラというのはイスラエル民謡とともに踊られるダンス)。)

パリのユダヤ人。黒い帽子に黒いスーツはハシディズム(敬虔派)という宗派のトレードマークである。
パリのユダヤ人。黒い帽子に黒いスーツはハシディズム(敬虔派)という宗派のトレードマークである。