《エッセイ(小話)》カバンの中の魔物たち


 わたしのカバンの中には魔物が棲んでいる。嘘ではない。奴らは確かに棲みついている。

 わたしとカバンの中の魔物たちとの付き合いは長い。おそらく、小学校の自分からあいつらとは付き合ってきたつもりである。あの頃はカバンの中だけではなく、あいつらは引き出しの中にまでもいた。高校に入ると、ロッカーの中にあいつは棲んでいた。

 

 証拠がある。やつらの存在を証明する証拠だ。それは簡単なことで、紙をロッカーやらカバンやら引き出しやらに入れておくと、一日と立たずに、紙がくしゃくしゃになり、端っこがびりびりになるのである。これは何かが書類をくしゃくしゃびりびりにしたとしか思えない。すべてのものには原因がある、というのはアリストテレスも納得していたことである。そう、だからわたしのカバンには何やら魔物が棲んでいるのだ。おそらく、カマイタチの類いのものだろう。あるいは、「くしゃくしゃ坊主」だろう。あるいは、あらゆる書物を古文書に変えてしまう、時空のゆがみをもたらすなにか、という可能性も捨てきれない。

 

 小学校の頃、わたしは文庫本を引き出しに入れていた。引き出し、と言っても小学校の机の中に入れる、例の箱のようなものである。あるとき、文庫本を取り出してみると、カバーがびりびりになっていた。まるで「噛み切った」かのような形であった。これは魔物のせいに違いがなかった。なお、引き出しの中にはたくさんのものが入っており、はさみもあったが、すべてのものには原因があり、はさみを使う人がいなければはさみが勝手に動くこともない。妖怪のせいなのね、そうなのね、である。

 本のカバーがびりびりになったのはそれっきりであった。もちろん、カバーの端の方がくしゃくしゃびりびりになることは未だにあるし、原因のわからない黒ずみが表紙の部分につくという現象もたびたび起きている。魔物がおそらく関わっているに違いないが、ずいぶんと手ぬるくなってくれたようだ。

 

 未だになくならないのは、書類がくしゃくしゃになることである。それはいつでもわたしについて回る。高校時代もよくあった。高校時代の一時期わたしは外交官になりたかったのだが、友人に「紙をくしゃくしゃにするやつは無理だ」などとわけのわからない因縁を付けられて、外交官の夢をあきらめたほどである。ついこの間だって、印刷して、バッグに入れた書類が、数時間後には突如としてぐしゃぐしゃになった。なぜだかわからない。おそらく、妖怪のせいである。

 ならばファイルに入れればいいじゃないか、と人は言う。わたしもそう思う。しかし、甘いのだ。例の魔物はファイルごときに負けはしない。実際、ファイルに入っていてもわたしのカバンの中では紙がくしゃくしゃになるなんてことはざらにあるし、なんとファイルが折れ曲がり、そしてファイルが真っ二つに割れることはよくあるのである。

 

 どうしたらいいのか。退治しようとしたことはある。気をつけてファイルに入れれば(ファイル自体がやられなければ)、あやつも手は出せない。だが、正直言っていつもいつも気をつけている暇なんてものはない。そして結局、救世主の如くあいつらは復活し、再び紙をくしゃくしゃびりびりにし始めるのである。

 いかにするべきなのか。全くわたしにはわからない。とにかくわたしはあいつと生きてゆくことしかできないだろう。姉妹には、まあ、紙なんて別にくしゃくしゃになったってかまわないじゃないか、などと考えてしまう。大事なのは紙ではない、中身じゃないか、と。とは言ってもやはり、わたしのもつ書類が毎回、「扱いに気をつけろ、何世紀も経ってる」とインディ・ジョーンズが言いそうな類いの状態になっている状況は少々迷惑だ。信用だって失いかねない。わたしに書類を預けたり、本を貸したりすると、瞬時にぐしゃぐしゃになる。そんなやつに任せてたまるか、と。

 

 長い付き合いになるから、あまり好ましいとは思わなくても、なんとなくわたしはあいつに愛着があるのかもしれない。腐れ縁みたいなものだ。のど元にナイフを突きつけるような成果を得ても、「いや、俺にお前は殺せねえ」などと、すぐに解放してしまう。だからあいつは今でもわたしのカバンの中の書類をくしゃくしゃにし、びりびりにしている。野放し状態でいる。わたしは結局何をすることもできないのだ。

 

 魔物とはわたしのことかもしれない。そしてわたしは魔物なのかもしれない。

 要するに、わたしは書類をすぐにくしゃくしゃにしちまうのである。

(記事:KEBAB)

魔物上等である。
魔物上等である。