《文学》アンドロイドは電気羊の夢を見るか?


 

「都会のひとはつめたくてこわいですね」とよくいわれる。それをきくたびにそうかなぁと首をかしげつつも、「都会のつめたさ」的体験がふっとよみがえってくる。つい先日もメガネを横断歩道でおとしてしまい、ご婦人が運転するベビーカーによってぐちゃぐちゃにされてしまった。ご婦人はこちらを横目でみた後、どこかを見つめて立ち去っていった。ぼくのもとにはハリーポッターみたいなメガネが残った。

 

だが、都会に限らず誰かを助けることは必ずリスクを伴う。ぼくは道案内をしたことでストーカー被害を受けた友人を知っているし、気分が沈んでいてだれかに合わせたりする気分じゃないときだってある。機械的に接しなきゃならないときだってあるのだ。そういうときぼくたちはビリビリとしたアンドロイドになるんじゃないかと思う。

 

 

 

『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

 

 

 

舞台は核戦争後のサンフランシスコ。主人公のリックは賞金稼ぎとして生計を立てている。限りある資源と土地を有効に活用するために、精神障害者は隔離され、知的障害者は開拓地である火星へと半ば強制的に送られているので、地球の犯罪率はそう高くない。リックら賞金稼ぎたちが追うのは専ら脱走したアンドロイドである。最新の脳回路「ネクサス6型」を備え有機的な肉体を持ったアンドロイドたち8体は荒廃した火星での生活にうんざりし、じぶんたちの主人を殺害して地球へと逃亡してくる。地球では放射能の影響で人類を除いてほぼ動物が死に絶えてしまっており、ペットを持っていることが一種のステイタスとなっていた。電気羊しか持っていないリックはなんとかして逃亡してきた8体のアンドロイドを皆殺しにして、本物の羊を買おうとする。

 

 「ネクサス6型」アンドロイドは非常に精巧にできていて、見た目も反応も人間と瓜二つである。子供をはらむことはできないが、性行為を行うこともできる。そんな彼らと人間の精神面における唯一の違いは、感情移入ができないことだけであるとされる。

 

「感情移入という現象は、草食動物か、でなければ肉食を断っても生きていける雑食動物にかぎられているのではないか。(略)感情移入という能力が、狩人と獲物、成功者と敗北者の境界を薄れさせてしまうからだ。」

 

「(人間という生き物は)誰かが歓びを経験すれば、ほかの全員も歓びの断片を共有できる。だが、もし誰かが苦しみを経験すれば、ほかの全員もやはりその苦しみの影から逃れられない。」

 

確かに作中の多くのアンドロイドたちは何かに共感することができない。それがたとえ同じアンドロイドであれ、かれらがいつか自分の後釜に座るのではないかと恐怖している。逃亡してきたアンドロイドたちが、手慰みに見つけたクモの足を一本一本そいでいく場面は恐怖を覚える。

自分以外の誰かを遠ざけようとする「アンドロイド性」と誰かと寄り添おうとする「人間性」の対比がこの作品でなされていることは間違いないだろう。

 

しかし一方で、人間のリックと性行為を行ったアンドロイドのレイチェルは、終盤リックの電気羊を破壊してしまう。一見すれば、この女アンドロイドの所業は、リックが後生大事に持っていた宝物を破壊する、冷酷な機械の非人間的行為ととれる。ただ少し考えてみると、どうして彼女は、リックが人工の生き物を大切にしていると「感じることができたのか」という疑問にぶつかる。彼女は、男が自分よりも愛している羊を殺した。これは嫉妬に他ならない。嫉妬とはほかの人の苦しみを理解していなければ芽生えることのない感情だ。レイチェルは感情移入をすることができない「アンドロイド性」と同時に、「人間性」を持っているように思えてならない。

 

アンドロイドさながらに淡々と目標の殺害に着手するリックもおなじである。ターゲットと同型のアンドロイドと性行為におよんでしまったリックは、殺すべきアンドロイドたちの内面を考え始めてしまう。抑えていた感情移入を始めてしまうのだ。このときリックの中には独居的な「アンドロイド性」と集団的な「人間性」の相克が生じている。

  

ぼくはこの作品が「どこまでが機械でどこまでが人間なのか」ということをテーマにした小説に思えないのはそこにおいてである。作者のフィリップは自らの別の短編を次のように評している。

 

「わたしにとってこの作品(『人間らしさ』)は、人間とはなにかという疑問に対する初期の結論を述べたものである。…あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない。問題はあなたがどれほど親切であるかだ。この親切という特質が、私にとっては、われわれを岩や木切れや金属から区別しているものであり、それはわれわれがどんな姿になろうとも、どこへ行こうとも、どんなものになろうとも、永久にかわらない。」

 

フィリップにとっては親切(=感情移入、「人間性」)こそが人間を他と区別する特質であるというわけだ。

 

ただ人間はだれしもがアンドロイド性をもっていることも忘れてはならない。それもまた人間にとって、いや生命にとって必要なことであるとぼくは思う。リックが言ったように「苦しみの影」から逃れている瞬間も私たちにとっては必要なのだとおもう。だからこそリックは女アンドロイドのレイチェルとベッドをともにしたあと、アンドロイドたちをバラバラにしに行くのである。 自分自身が生き残るために。

 

都会のひとたちは冷たいかもしれない。だけどそれはぼくが嫌いだからそうしてるわけじゃあないんだ。せっかく機会があるならば、こちらからまず優しくしてみよう。かれらの機嫌が良ければ、きっとにっこり笑ってくれるはずだ。ただし機嫌が悪かったのなら、君の飼ってる羊が放り出されるかもしれないけれど。

 

 (KISYA:saboten/ no.389/ made in japan)